九州で過去より中心とされてきた大宰府の地に観世音寺がある。七世紀後半から整備されてきた古寺である。761年、聖武天皇の勅願によって観世音寺に置かれた戒壇院は、僧尼に戒律を授ける所であったのだが、東大寺・下野の薬師寺と共に「天下の三戒壇」と呼ばれている。下野薬師寺は僧道鏡が、観世音寺は僧玄昉が別当として下向している。筆者は九州三大左遷として道君首名・玄昉・菅原道真を思慕しているが道鏡や玄昉が蘇我氏と同じく藤原家により貶められたことは間違いない。従ってその研究は蘇我氏の真実を知る上でも重要である。ちなみに玄昉も道鏡も物部氏に繋がる一族であり玄昉は空海にも繋がる阿刀氏(安斗氏)とされる。この玄昉は藤原広嗣の祟りで殺されたとするが大宰府に「胴塚」があり奈良に「頭塔」と呼ばれる「首塚」がある。不比等のもう一人の孫の...大宰府観世音寺No205