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偕楽園焼 金彩寿字文盃 6客(江戸時代19世紀、高2.7cm/口径6.4cm)六客一揃えの盃で、器の内側には中央に金彩で「寿」の文字をあらわし、その周囲に唐草文をめぐらせている。器の外側には、菊と水仙を色絵で描き、高台の周囲にも唐草文をあしらっている。菊は秋、水仙は冬から春にかけて咲く花だが、菊は長寿、水仙は「仙」に通じることから、どちらも目出度い主題だった。また、唐草文の蔓も連続性や子孫繁栄を象徴している。器の底の高台内に金彩で「偕楽園製」と記され、江戸時代後期に和歌山城下で焼かれた偕楽園焼とわかる。

偕楽園焼 向付 永楽保全(1795〜1854) 保全は十一代永楽善五郎。十代・了全の養子で「永楽家中興の祖」と呼ばれる人物。茶陶の世界では仁清、乾山とも並び称され、傑出した陶技が遺憾なく発揮されている。

瑞芝焼 青磁菊透文手焙 江戸時代後期 和歌山市立博物館 和歌山城下の鈴丸で焼かれた瑞芝焼は、偕楽園焼・南紀男山焼と並んで近世紀州三大窯の一つに数えられる。諸窯の写しが多いが、精美な青磁製品が知られる。

南紀男山焼 色絵花蝶文花生 江戸時代後期 和歌山市立博物館 底部には「南紀男山」銘があり、胴部には「偕楽園画製」と記される。素地を南紀男山窯(有田郡広川町)で焼き、色絵部分を西浜御殿内で仕上げたと考えられる。

偕楽園焼 向付 永楽保全(1795〜1854) 保全は十一代永楽善五郎。十代・了全の養子で「永楽家中興の祖」と呼ばれる人物。茶陶の世界では仁清、乾山とも並び称され、傑出した陶技が遺憾なく発揮されている。

偕楽園焼 向付 永楽保全(1795〜1854) 保全は十一代永楽善五郎。十代・了全の養子で「永楽家中興の祖」と呼ばれる人物。茶陶の世界では仁清、乾山とも並び称され、傑出した陶技が遺憾なく発揮されている。

瑞芝焼 青磁六ツ葵唐草文火鉢 江戸時代後期 口径23.5cm/高さ21.0cm 瑞芝焼は、鈴丸焼・滅法谷焼ともよばれ、和歌山城下鈴丸丁滅法谷で、寛政8年(1796)ころに岡崎屋・坂上重次郎が官許を得て開窯し、明治9年(1876)ころまで製陶が行われた。本品は、6葉の葵と唐草文を線刻した火鉢であり、とくに深味のある灰色を帯びた緑釉が美しい。底面の高台の中に、陰印刻銘で「南紀瑞芝堂製」とある。

銹絵雪笹文手鉢 仁阿弥道八作 江戸時代/19世紀 高16.0cm/縦21.6cm/横22.7cm 文化庁分室 初代・高橋道八の次男として生まれ、兄の早世により29歳で家督相続、京•五条坂に開窯。奥田頴川、宝山文蔵らのもとで修行を積み、青木木米らと共に京焼の名手として知られた。色絵は「尾形乾山、野々村仁清の再来」とまで称され、茶碗などの食器や容器ばかりではなく、生気のこもった精彩な人物や動物などの陶像や磁器像にも名品が多い。仁和寺宮より「仁」、醍醐寺三宝院宮より「阿弥」の号を賜り、出家名「仁阿弥」を称する。45歳の時に紀州藩御庭焼「偕楽園焼」の立ち上げに参画。以後、高松藩御庭焼(賛窯)、薩摩藩御庭焼(磯御庭焼)、角倉家御庭焼(一方堂焼)、西本願寺御庭焼(露山焼)などの立ち上げにも参画。天保13年(1842年)、伏見に隠居するも、以後も「桃山窯」を開窯し作陶を続けた。この銹絵雪笹文の手鉢は、乾山の本歌に倣った仁阿弥道八の代表的な作品の一つであるが、把手を竹とするなど創意も加えられている。この手鉢は、底に捺された「桃山」瓢形印や内箱蓋裏の法螺貝印から、晩年の桃山窯時代の作と知られる。